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【カペナウムについて】

2020/5/13 松見ケ丘キリスト教会 祈り会の学び

 

 今週の礼拝メッセージの舞台はナザレでしたが、カペナウムはナザレと同じくガリラヤ地方に位置し、主イエス・キリストが公生涯を始められた地でした。本日はこのカペナウムについて詳しく学びたいと思っています。このカペナウムでは実に多くの出来事がおこっていることが分かります。

 

 カペナウムは、ガリラヤ湖の北側に位置し、ガリラヤ地方における漁業と商業の中心地でした。主イエスがカペナウムの会堂でメッセージされたことが聖書に記されていますが、当時の会堂の土台が今も残っています。現在復元されている会堂跡は、その土台の上に建てられたものです。この会堂の規模を見ても、カペナウムが当時どれほど栄えていたかを知ることができます。

 

聖書の中にあるカペナウムで起こった出来事

1)主イエスは悪魔の試練を受けられた後、カペナウムに住まわれた。(マタイ4:12-16)

2)カペナウムにおいて宣教を始められた。(マタイ4:17、マルコ1:25−15)

3)パテロやアンデレはこの町で漁師をしていた。(マタイ4:18)

4)ペテロの家は、カペナウムの会堂のすぐそばにあった。(マルコ1:29−31)

 (会堂そばにある「ペテロの家」とされる家はその後、教会堂とされ遺跡が残っている。)

5)百人隊長のしもべをいやされた。(ルカ7:1−10)

 (当時、カペナウムにはローマ軍の貯蔵施設や浴場があり、多くの兵が駐留していた。)

6)天井から吊り下げられた病人を癒されたのもカペナウムであった。(マルコ2:1−12)

7)主イエスはカペナウムの会堂で教えられ、汚れた霊を追い出された。(マルコ1:21−28)

8)会堂司ヤイロの娘をよみがえらせた。(マルコ5:22−24、35−43)

9)片手の萎えた人をいやされた。(マタイ12:9-13)

10)「私がいのちのパンです」と語られたのもカペナウムであった。(ヨハネ6:24−59)

11)ペテロに神殿税を支払うための漁をさせたのもカペナウムであった。ペテロは、ガリラヤ湖から獲った魚の口の中からステルタ銀貨一枚を見つけそれを収めた。(マタイ17:24-27)

 

12)このような大きな奇跡とメッセージが語られたにもかかわらず、パリサイ人をはじめとした町の人々は主イエスを受け入れなかったために、カペナウムをのろわれた。(マタイ11:20−24)

その後カペナウムは荒廃し、遺跡が発掘されるのみで、住民は今もいない。

 

 それからイエスは、ご自分が力あるわざを数多く行った町々を責め始められた。彼らが悔い改めなかったからである。「ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。おまえたちに言う。さばきの日には、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。

 

 カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。おまえのうちで行われた力あるわざがソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。

おまえたちに言う。さばきの日には、ソドムの地のほうが、おまえよりもさばきに耐えやすいのだ。」

 

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。」

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