「恵みのことば」として聞くことのできる者

  (ルカ4:14〜30)

   2020/5/10 松見ケ丘キリスト教会

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 ルカの福音書はマタイの福音書と同じく、主イエスの公生涯の働きがガリラヤから始まったことを記しています。ところが、伝道を始めたカペナウム周辺の扱い方が全く違うのです。マタイの方では、悪魔の試みを受けた後、カペナウムを中心とした地域で福音を宣べ伝え始め、5章からは、有名な山上の説教が詳しく記され、やっと13章54節からご自分が生まれ育ったザザレに戻り、会堂でメッセージを語られたことが記されています。

 

 ルカの福音書では、その出来事を4章14節から15節のたった2節のみの記述で終わります。そして、すぐに故郷のナザレでの出来事が記されています。しかし、以下の2節の中の内容が、ナザレでの出来事の対比のために大事な箇所になっています。

 

(ルカ4:14−15)

 「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。」

 

 「すべての人に称賛された」とあるように、ガリラヤの人々は、主イエスの語るメッセージを喜んで受け入れたのです。主イエスのガリラヤでの働きとメッセージは、ガリラヤの人々にとっては衝撃的な出来事でした。現在のように新聞やテレビがない時代に口コミでその評判がガリラヤ一帯に広まったことを見ても分かる通りです。

 

 ガリラヤでの活動は、病人を癒すという奇跡も伴っていましたが、その活動の中心会堂での「聖書の説き明かし」でありました。マタイ7章28−29節では、「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。」と記しています。

 

 ガリラヤは、イスラエルの中でもエルサレムからかなり離れていて、エルサレムの人々からは、なまりの強い田舎であると思われていました。確かにエルサレムには神殿があり、信仰に熱心な人々はエルサレムに上り、神殿における礼拝をささげていました。しかし、サンヘドリンの議員や神殿奉仕者である大祭司等の特権階級の人々が住む、かなり保守的な場所でもありました

 

 それに比べると、ガリラヤ地方は、ヨルダン川からの灌漑などによって作物が豊かに実り、また外国との交流も盛んであり、人々は先進的な考え方を持っていたようです。日本でいえば江戸からは離れているが国際色の強い長崎のような町だたっと言えるかも知れません。

 

 ガリラヤの中心地であるカペナウムにおいて、当時のユダヤ教の会堂の土台の遺跡が発掘されました。私も25年前にカペナウムの会堂跡に行かせていただきました。最初に発掘された土台の上に崩れた石を積み直し、当時の面影をしのぶことができる状態までに会堂が復元されていましたので、かなり立派なものであったことが分かりました。

 

 主イエスが公生涯まで過ごされたナザレの町は、カペナウムほどではありませんが、4章29節には、故郷の人々が主イエスを「町の外に追い出した」とあり、小さな町の印象を受けますが、ギリシャ語の聖書では、「ポリス(都市)」となっているので、村や小さな町ではなく「市(city)」です。少なくとも5万人以上は住民がいたのではないかと推測されています。

 

 「4:16 -17 それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。

 

 ここで注目すべきは、「いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。」と記されていることです。

 

 会堂はイスラエルの民にとっての精神的な意味での拠点でありました。ここでは、子供たちの教育が行われ、裁判や議会も行われている町のコミュニティースペースでした。しかし、何よりもこの会堂で行われる中的な事柄は、神への礼拝であり、人々が神の言葉に接する特別な場所であったということです。当時の人々の信仰生活はエルサレムの神殿というよりは、この会堂を中心として営まれていました。これは神殿破壊し後のバビロン捕囚を経た後の人々の信仰生活でした。

 

 そして、会堂には羊皮紙に書かれた聖書の巻物が何本も収められていました。現在のように、ひとりひとりが聖書を持っていないので、人々は会堂において読まれる巻物となっている聖書のみことばを聞くために集まり、その説き明かしを聞くことによって神の言葉に接していたのです。

 

 安息日にはその聖書の巻物の一つが取り出されて読まれ、そこから、立てられた人が読まれた聖書のみことばの意味を解き明かしてくれるのです。今日の教会での礼拝の原型が、この会堂での礼拝で行われていました。パウロの伝道を見ても、イスラエル以外の会堂でもほとんど同じようであったことが分かります。

 

 主イエスは「いつもしているとおり安息日に会堂に入り」とありますので、そのナザレの会堂に幼い頃から通い礼拝をささげていました。ですから、この時は渡された聖書を読み、説き明かしをなさっていますが、幼い頃は他の人のみことばの説き明かしを聞く側であったのです。当然、幼い頃から主イエスを見てきた人々、教えた人々もいたわけです。

 

 ここにカペナウムをはじめとしたガリラヤの諸会堂とのみことばを聞こうとする態度の違いがあるわけです。今日でいえば、教会学校に幼い頃から通って来て、その家族も全員知っている先生の前でメッセージを語るわけですから、聞こうとする態度が全く違うわけです。

 

 ただ、「いつもしているとおり安息日に会堂に入り」とある箇所から教えられることは、カペナウムもナザレの会堂でも神様の目から見れば、不十分なところがたくさんあった会堂でしたが、主イエスはその会堂での礼拝を幼いころから大切にしていたということです。主イエスさまでさえ、神を礼拝し、聖書によって養われるということが、当たり前の習慣にされていたということに私たちは学ばなければならないと思います。

 

 私たちは、何か特別な場所や特別な時、特別な場面になったら、自分の持っている力を発揮しようと考えます。しかし特別なときに力を発揮できるためには、日常のあたりまえの習慣がどのようであったかが問われることになるのです。日常において、行ってもいないことを特別な場所、特別な場面で行うことはきわめて難しいということです。

 

 神に従う態度にしても、私たちが普段の生活に用いている心、実際の働きが、日常のいつもの習慣になっていかなければならないということです。何を優先順位に日常生活を送っているかということが、その力を一番発揮しなければならい特別なときに生きて来るのです。

 

 この時、主イエスが「いつもしているとおり安息日に会堂に入り」みことばを解き明かしたのは、イザヤ書61章からでした。

 

 「すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。『主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。』」

 

 主イエスはこのイザヤ書の箇所を読み終わり、巻物を巻き、係りの者に渡して座られました。当時の人々の礼拝は、現在の教会の礼拝と反対で、メッセージを語る人が座り、聞く人々は立って聞いていたのです。

 

 会堂にいた皆の目はカペナウムをはじめガリラヤの諸会堂で「イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。」とありますので、故郷のナザレでも主イエスが何を語られるのか、その説き明かしに注目したのは当然のことでした。

 

 ルカの福音書では、4章21節で、「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」とありますので、そのたった一言のメッセージに思われますが、22節からのメッセージを聞いた人々の反応から推察すると、実際にはこの時読まれたイザヤ書の箇所の説き明かしがなされたはずです。

 

 主イエスのメッセージの詳しい内容は記されていませんが、ルカの福音書では「4:22 人々はみなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いて」とあります。それは「恵みのことば」であるとまとめています。ところがナザレの人々の驚きの反応は二つに分かれたようです。文字通り、「恵みのことば」と聞いた人と、語られたメッセージに反感を覚えた人々です。

 

 反感を覚えた人々は、幼い頃から主イエスのことを知っていた人々です。「この人はヨセフの子ではないか」と言っているからです。つまり、自分たちが教えて来た聖書の解釈と違っていると彼らは受け止めたのです。主イエスの語られる言葉を「神のことば」「神からのメッセージ」と聞く態度が全く無かったということを意味しています。

 

 幼い頃から主イエスを知っているナザレの人々が期待したのは、彼らの期待しているメシヤ像でありましたが、実際に主イエスが語られた説き明かしは、それとは違ったものでした

 

 イザヤ書はメシヤの到来を預言している書です。イスラエルの人々は何百年もそのメシヤが来られること、実現を待ち望んでいました。しかし、彼らの待ち望んでいたメシヤはローマ帝国をはじめとしたイスラエルの敵からイスラエルを解放し、自分たちの敵への徹底的なさばき、報復をするメシヤでした。

 

 しかし、主イエスの語られたメッセージは、自分たちの敵への報復を語るどころか、異邦人に対する「恵みのことば」であり、異邦人にも救いをもたらすメシヤについて語っています。

 

 主イエスの語られた「恵みのことば」を受け止めることができたのは、貧しい人々であり、捕われた人であり、目の見えない人でした。それは単に貧しく、目が見えない人々というよりは、神のみ前で謙遜な人々であり、自分が神の恵みを受けるに価しない者であると自覚している人々であるというのです。

 

 その例として挙げられているのが、その後に記されている預言者エリヤの時の「シドンのツァレファテの一人のやもめの女」であり、預言者エリシャのときの「シリア人ナアマン」です。この二人は、異邦人でした。イスラエル人からすれば、全く救われるに価しない人々です。

 

 異邦人に救いをもたらしたエリヤもエリシャの二人も活動していたイスラエルの人々からは評価されず、受け入れたのは異邦人である「シドンのツァレファテの一人のやもめの女」であり、預「シリア人ナアマン」でした。それが主イエスの語られた「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。」という意味です。

 

 自分たちは神の恵みを受けるのにもっともふさわしい者であるという高ぶった態度では、神の恵みの言葉が入って来ないのです。医者に対して『医者よ、自分を治せ』というような高慢な患者のように、郷里のナザレの人々も主イエスに対して、あなたはカペナウムでも病人を癒したのだから、当然郷里であるナザレでも同じように奇跡を行うのが当然だろうという高慢な態度が、ナザレの人々にはあったのです。

 

 主イエスがどんなにすばらしい「恵みのことば」を語っても、自分たちはそのイエスを幼い頃から知っているという見下した態度、優越感では神の言葉が彼らの心に入ってくるはずがありません。

 

 「この人はヨセフの子ではないか」と言った。」とありますが、マタイの福音書13章54節では、「すると、彼らは驚いて言った。『この人は、こんな知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母はマリアといい、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな私たちと一緒にいるではないか。』郷里のナザレの人々は言い放っています。

 

 ナザレの人々は、主イエスの幼い頃からの普通の生活を知っていたので、関心も高かったのは確かです。公生涯を始められたときは約30歳と言われているので、主イエスの子供の時代を知っている人もたくさんいたでしょうし、教えたことがある人もいたでしょう。そのことが彼らの高慢を生んでいたのです。

 

 この日読まれたイザヤ書61章のあとに記されている65章1節には次にように記されている。

 「わたしを尋ねなかった者たちに、わたしは尋ね求められ、わたしを探さなかった者たちに、わたしは見出された。わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、『わたしはここだ、わたしはここだ』と言った」とあります。

 

 事もあろうに、主イエスは、メシヤの異邦人に対する報復を語るどころか、異邦人をあわれんでくださる神の恵みを語ったのです。その例としてエリヤとエリシャのことを語り始めました。すると、故郷の人々は主イエスを信じ受け入れるどころか、主イエスを殺そうとしたのです。

 

 「4:28 これを聞くと、会堂にいた人たちはみな憤りに満たされ、4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。」

 

 「しかし、イエスは彼らのただ中を通り抜けて、去って行かれた。それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに驚いた。そのことばに権威があったからである」

 

 主イエスの郷里のナザレ人々には素晴らしいチャンスが与えられていました。彼らはイエスを通して「恵みのことば」が語られているのを聞くことができました。しかし、自分たちが直接聞いた聖書の説き明かし、すばらしいみわざを見ても、主イエスの語られたメッセージを神の言葉として聞くことができませんでした。自分たちの経験、知識のほうが勝っている高ぶりの態度があったからです。

 

 マタイの福音書では、郷里のナザレの人々は「13:57 こうして彼らはイエスにつまずいた。」と記されています。そして、「彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさらなかった。」とも記されています。郷里の人々は不信仰と高慢のゆえに、主のみわざにもあずかることがなかったです。偏見と高ぶる態度は、どんなにすばらしい神の言葉を聞いても、それを「恵みのことば」として聞くことはできません

 

 神の前に人は高ぶる心をもっていては、神の恵みを受け取ることができないのです。自分は神の恵みに価しない者であるという謙遜な心をもって、神の御前に出る態度こそが神の恵みを受ける方法なのです

 

 ヤコブの手紙4章6節にあるように、神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えるのです。パウロが伝道したアテネの人々は自分たちの知識を誇り、「このおしゃべりは、何が言いたいのか」(使徒17:10-12)という態度でパウロの言葉を聞いたので彼らは、神の恵みにあずかることはできませんでした。

 

 しかしベレヤの人々(使徒17:10-12)の態度は、パウロのメッセージを聞いたとき、自らも聖書を調べ、果たしてその通りかどうかを確かめたとあります。この態度は偏見をもたずに語られたことが真実であるかどうかを検証する真摯な態度を私たちに教えています。

 

 テサロニケの人々も、パウロのメッセージを聞いたとき、「あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれた」(Ⅰテサロニケ2:13)とあります。その結果、「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。」と記されています。

 

 どのような態度で神の言葉に接するかによって、神のことばが、「恵みのことば」「救いのメッセージ」になるか、「愚かな言葉」になるかの分かれ目です。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(Ⅰコリント1:18)

 

 私たちも、主イエスの自分の郷里のナザレの人々のように、自分の知識や経験を誇り、高ぶった態度でみことばを聞くのではなく、ベレヤの人々のように偏見を捨てて真摯な態度で、さらにテサロニケの人々のようにへりくだった思いを持って神の言葉を聞き、「恵みのことば」として受け取りましょう。