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ナザレは丘の多い町

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マリアが御告げを受けたという ナザレの受胎告知教会

ナザレについて

松見ケ丘キリスト教会 祈り会 聖書の学び

 

 今日、多くの人々は主イエスが育ったナザレは、小さな村である想像しますが、ルカの福音書4:29には、「そして町(ポリス)が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした」とある通り、決して小さな町ではなくポリス(大きな町)です。上の写真の通り周りが丘に囲まれている盆地に建てられた町です。ナザレには、エジプトにまで通じる重要な道が通っていました。隊商が通り、兄弟から売られてエジプトに下った時もこの道を通り、アレキサンダー大王の軍隊もこの道を通ったと言われています。

 

 ナザレはマリアとヨセフの出身地であり、主イエスもここで成長しました(マタ2:23,マコ1:9,ルカ2:39,4:16)。

 ・マタイ2:23「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。」とあります。

 

 しかし、「ナザレ人と呼ばれる」という旧約聖書の箇所は見当たりません。そこで、「ナザレ人と呼ばれる」という解釈をめぐって、それはあざけりやさげすみの対象としての呼ばれ方であるという解釈があります。後に、イエスの弟子となったナタナエルは、ピリポから「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」と紹介されたとき、「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」とこたえ、期待するに価しない存在であるかのような反応をしています。福音書に数多く記されている「ナザレ人イエス」もやはり同様の印象を与えます。蔑まれるとう意味でイザヤ書の次の箇所をあげる人もいます。

 

・ イザヤ49:7「イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、人にさげすまれている者、民に忌みきらわれている者、支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。『王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。主が真実であり、イスラエルの聖なる方があなたを選んだからである。』」

 ・イザヤ53:3「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」

 もう一つの解釈は、イザヤ書11章にあるメシヤ預言です。イザヤ11:1には、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐る知識の霊である」とあり、羊飼いであったダビデの父の名が記され、メシヤについて預言しています。「若枝」は、ヘブル語では「ネツェル」となっているので、その音「ネツェル」から、メシヤを生んだ「ナザレ」と結びつけ、「ナザレ人と呼ばれる」と解釈する人も多くあります。

 

新約聖書に記されている「ナザレ」「ナザレ人」

・マタイ2:23「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。」

マタイ4:13「そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。」

マタイ21:11「群衆は『この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ』と言っていた」

マタイ26:71「ペテロは皆の前で否定し、「何を言っているのか、私には分からない」と言った。

26:71 そして入り口まで出て行くと、別の召使いの女が彼を見て、そこにいる人たちに言った。『この人はナザレ人イエスと一緒にいました。』」

 

マルコ1:9「そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。」

マルコ1:24「『ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。』」

マルコ10:47「彼は、ナザレのイエスがおられると聞いて、「『ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください』と叫び始めた。」

マルコ14:67「ペテロが火に当たっているのを見かけると、彼をじっと見つめて言った。『あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。』」

マルコ16:6「青年は言った。『驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。』」

 

ルカ1:26「さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。」

ルカ2:4「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」

ルカ2:39「両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。」

ルカ2:51「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」

ルカ4:16「それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。」

ルカ4:34「ああ、ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」

ルカ18:37-38「ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々が知らせると、彼は大声で、『ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください』と言った」

ルカ24:19「イエスが『どんなことですか』と言われると、二人は答えた。『ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。』」

 

ヨハネ1:45-46「1:45 ピリポはナタナエルを見つけて言った。『私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。』ナタナエルは彼に言った。『ナザレから何か良いものが出るだろうか。』ピリポは言った。『来て、見なさい。』」

 

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