【エペソ人への手紙1:8〜10 神のみこころの奥義を知る 1 

 

松見ケ丘キリスト教会 祈り会の学び

 

「 1:8 この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、 1:10 時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。

 

Ⅰ)この「あらゆる知恵と思慮」がの「知恵と思慮」であるのか、人間の「知恵と思慮」であるのか解釈が分かれる箇所です。もし、神の「知恵と思慮」と解すると、全知全能の神に対してきわめて人間的な知恵と思慮であるかのような表現になります。しかしパウロは、ローマ11:33で「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。」と記しています。やはり「人間の知恵と思慮」と理解したほうが妥当と思われます。

 

 F・ブルースは、「知恵と思慮深さ」が、神の恵みの結果として信者が受けた賜物であると解釈しています。「神の知恵と知識の富」(ローマ11:33)は、キリストの血による贖われた者たちに対しても分け与えられ、「あらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ」てくださいました。これも神の豊な恵みによることです。

 

)「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました」(1:8)

・ 「奥義」とは、人間の知恵や理解力では知ることのできないものです。神の「みこころ」は、神以外に知ることはできず、その神のみこころが贖われた者たちが知らされるのは、「あらゆる知恵と思慮」を持って、贖われた者たちが神のみこころに従って生きるためです。

 

・ 「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません」(Ⅰコリント2:14)とあるように、生まれながらの人間は「十字架のことば」を愚かなこととみなします(Ⅰコリント1:18)。この世は自分の知恵によっては、神を知ることができないのです。神のみこころを知るためには、「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」(エペソ1:17)とあるように御霊の助けが必要なのです。

 

・ (コロサイ1:26-27

「すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」

 

 

【エペソ人への手紙1:8〜10 神のみこころの奥義を知る 2 

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Ⅲ)「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです

 

 「時が満ちて計画が実行に移され」という表現は、ガラテヤ4章4節のみことばと同じです。

​・ (ガラテヤ4:4)

「 4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。」

 これらのみことばは、歴史は神のご支配の下にあることを覚えさせられます。アレキサンダー大王が世界を征服したとき、ヘレニズム文化を広め、共通語はギリシャ語になりました。その後、ローマ帝国が世界を支配すると、地中海から海賊を一掃し、「すべての道はローマに」向けて整備されました。その結果、主イエスの福音を異邦人に持ち運んだパウロは、海賊の一掃された地中海を航海し、彼の用いた言葉はギリシャ語でした。そして新約聖書もギリシャ語で書かれています。これは決して偶然ではなく、歴史を支配される神のご支配の中でそのように整えら、その時が満ちたときに、神の御子が人として地上のこられたのです。

 

・ 「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです」(10節後半)。

 

 世界の歴史は、神の御子イエス・キリストの誕生を境に、キリスト以前は「BC(before Christ)、キリストが人となられてからは、AD(anno Domini)「主の年」となっています。

 ペンテコステ以来、世界は分断からキリストのあって一つに集められています。パウロはそれがどれほどすばらしい事実であったのかを体験しています。たとえば、ユダヤ人と異邦人の対立がありました。また男と女、社会的には富める者と貧しい者、支配する者と支配される者などです。しかし、聖書は、それらの対立がキリストの御名のもとに一つに集められたと以下のように証言します。

 

・ (ローマ10:11-12)「 10:11 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。」

 

・ (Ⅰコリント7:22)「 7:22 主にあって召された奴隷は、主に属する自由人であり、同じように自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。」

 

・ (Ⅰコリント12:13)12:13 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。」

・ (ガラテヤ3:27-28)「3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。3:28 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。 」

 

・ (エペソ2:14-16)「2:14 実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、2:15 様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、2:16 二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」

 

・ (ヤコブ2:3−5)「2:3 あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、「あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と言うなら、2:4 自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。2:5 私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。」

 

イエス・キリストに救われた青年に起こった変化

 

 北陸で伝道され、南関東地区聖会の講師としてお招きしたことのある横山幹雄先生は、18歳の頃、高松市の郊外仏生山キリスト教会に行きキリスト信じて救われました。

 

 四国はお寺が多く、その教会は小さな間借りの教会でした。大勢の宣教師に囲まれ、日本人が捕虜のように小さく座っていたそうです。英語を学ぶために通い始めたるもりでしたが、講師のアメリカ人宣教師は流暢な日本語を話すし、おまけにすぐ横に座ったおばちゃんは鼻をつく異臭が漂い、鼻汁をすする音、口をくちゃくちゃする音が耳障りで、最初はひどい所に来たものだと思ったそうです。

 

 しかし後に、そのおばちゃんは実に素直な信仰を持っている人であることを知りました。彼女は辻さんという方で教会のすぐ近くの小学校の校庭の脇に小さな小屋を建て住んでいました。背中を丸めて通りを歩くと近所の子どもたちが、「乞食ババア、気違いババア」とからかっていたのです。しかし、単純に主を信じて、主を愛し、主を喜ぶ姿に教えられたというのです。

 

 ある日、いつものように教会に行くと、教会の家主の奥さんが横山青年を手招きし、「横山さんお話しがあります。あんたこの頃いやに熱心に教会に来ていますね。少し気をつけたほうがいいですよ」と言うので、「なぜですか」とたずねると、「ここに来ている人はみんなちょうとおかしい人たちですよ。あなたは他の人と違う立派な高校生でしょう。」と注意されました。しかし「いいえ、僕もちょっとおかしい人です。続けて来ます。」と答えたのです。横山青年は、辻さんと同じ、「ちょっとおかしな人々」の仲間に入れたことが喜びとなったというのです。

 

 辻さんが、人から差別されても気にせずに、貧しくともキリストにあることを喜ぶ人に変えられたことも素晴らしいことですが、私が教えられたのでは、高校生でありながら、外見や身分によって人を判断するのではなく、偏見を取り除かれ、その人の内側にあるものの素晴らしさに目をとめるように変えられた横山青年の変化にも驚きました。

 

 アメリカでは、トランプ氏が大統領になってから社会の分断が激しくなったと言われています。人は人種や社会的な身分、豊かであるか貧しいかで差別します。しかし、キリストは、分断された世界に人ととして来られて、ご自身のもとに一つに集められました。「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」と語られているみことばがそのことを示しています。

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​弘前公園の桜