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立石尚志(たていし・ひさし)

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 1961年10月、杉並区東京衛生病院(現東京衛生アドベンチスト病院)で生まれ、4歳まで小金井市で過ごしました。小金井にいる間に弟が二人になり、父親の仕事でニューヨークで次の4年間過ごし、帰国後、小金井から町田市玉川学園に引っ越してきました。玉川学園で母が近所で行われていた聖書の学び会に誘われ、家族で最初のクリスチャンになりました。学び会の女性たちは自分たちの子どもたちにも聖書を学んでほしいということで、隣町の成瀬カンバーランド長老教会の教会学校に通わせたのですが、これが私のキリスト教との出会いとなりました。

 

 父親の二度目の北米駐在で次の4年間をロサンゼルスで過ごしましたがこの間に、母が通っていた聖書の学び会は「松見ヶ丘キリスト教会」としてスタートを切りました。私はと言いますと、米国滞在中、母や弟たちと共に、現地の教会に通い、そこで本格的に聖書に触れるようになりました。おりしも「ノストラダムスの大予言」が大ヒットしており、米国ではハル・リンゼイ著「The Late Great Planet Earth 地球最後の日」という聖書の預言に関する本が空前のベストセラーになっていました。これらを読む中で聖書の「終末預言」に深い関心を持つようになり、同時に科学好きでもあり「進化論」と「創造論」についての議論にも関心を抱くようになりました。

 松見ヶ丘キリスト教会には帰国と同時に通い始めるようになりました。帰国子女がまだ珍しい時代であり、帰国の不適応などに遭遇し、自分の心の領域に目がいくようになり、聖書が教える「罪の問題」や「イエス・キリストを通しての救い」について聞く中、信仰決心へと導かれ、高校一年生の4月に弟を含め同じ中高生仲間と共に洗礼を受けました。松見ヶ丘キリスト教会の高校生会、青年会はこの頃、盛んであり上記の写真はその頃行われた「高校生合宿」のものです。当時、教会は楽しい仲間のいる所でした。

 大学に上がり、父親の3度目の駐在で家族が再渡米するなかで一人日本に残り、この頃から教会で教会学校の手伝いをするようになりました。大学四年時に自分の罪に向き合わされる中、初めて心から神に向かって「助けてください」と懇願したのですが、その時「イエスを主とし、イエスに従順になりなさい」という言葉を受け取り、そのとおりに決断したことがきっかけで、心に聖書が約束する喜びを経験するようになり、自分への様々なこだわりからも自由にされ、神に残りの生涯仕えたい、という思いが与えられました。

 会社務めの4年目、共に洗礼を受けた真ん中の弟が亡くなりました。弟の死をきっかけに聖書をしっかり学びたいという願いが与えられ、会社に五年弱務めた後、聖書宣教会・神学舎で聖書とキリスト教信仰、教会についての学びと訓練を受けました。在学中に妻の聖美と出会い、1992年3月に卒業と同時に結婚し、横浜にある「かもい聖書教会」の牧師となりました。10年務めた後、宣教師としてニューヨーク周辺に在住する日本人のために立てられていたグリニッチ福音キリスト教会(現/ニューヨークめぐみ教会https://www.jgclmi.com/)に赴任し、2003年から2020年までの17年間、在米邦人宣教に携わりました。2021年4月より松見ヶ丘キリスト教会の牧師となり、29年の時を経て、自分が信仰者としての歩みを始めた教会に戻ってきたことになります。​妻の聖美と、特別養子縁組をした二人の子供がおり二人とも成人しています。■

 

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